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法憧院所蔵の本像は、戦国時代の様式をよく伝えるまとまりのいい作例といえる。 厨子は仏堂を模した宮殿の形で小型ながらどっしりとした趣があり、中世に遡る単独の厨子は県内ではめずらしい。 厨子内面の三つの壁面全体に記される墨書は、天文3年(...
伝嗣院の旧寺領内にあり、御幸道の脇に富士山に向いて建てられている。高さ1.6メートル、幅1.2メートル程である。髪は螺髪で智挙印を結ぶ。右膝部に「寅山代」、像背に「寶永歳」の刻印がある。 データ 所在地/南アルプス市上宮地1408-1...
もともと円通院にあり現在は隆円寺で管理している本像は江戸時代の地誌『甲斐国志』に「日不見観音(ひみずかんのん)」と記載されるように、三十三年に一度の開帳の秘仏として祀られてきた。史料がなく造立の次第などは不明だが、元禄4年には近隣の人...
隆円寺所蔵本像は、全体のバランスが良くとれ、しかも引き締まった造形をみせる。像の表面が造立当時のまま伝えられていることも貴重で特に衣の全面には多種類の截金(きりかね)文様が残る。制作年代は鎌倉時代半ば頃と考えられ、端正で洗練された作風...
野牛島地区の北西部に能蔵池がある。能蔵池は御勅使川の伏流水が崖下から湧きだした湧水池で、古くから周辺諸村の灌概用水として重宝されていた。この池のほとりに、碑は建てられている。 高さ189センチメートル、底辺幅98センチメートル、安山岩...
野牛島集落の西はずれの小高い塚上に、「西の神地蔵」と呼ばれる板碑が南面して建てられている。高さ65センチメートル、幅27センチメートル、厚さ14センチメートルの安山岩製である。 頂部は三角形に造られ、その中央に阿弥陀如来を意味する梵字...
ふれあい情報館を右手に見ながら南へ進み、指定文化財の標柱の角を曲がって細い農道を西に進むと果樹畑の中にひっそりと石丸地蔵が立っている。 高さ120センチメートル、幅37センチメートル、奥行27センチメートル、安山岩製の石仏である。頭部...
この仏像は、客殿に安置してあって、寺記によると、24代日侑造立のもので享保年間(1716年から1735年)の作である。全体に江戸時代によくみられる卑俗性がなく、古い時代形式を求めんとした仏師の心境がうかがえる。西郡地方稀有の大金色坐像...
データ 所在地/南アルプス市鏡中条747 所有者、管理者/妙連寺 指定年月日/平成元年1月19日 備考/
身を甲冑にかため、右手に宝珠を捧げて鬼形上に立つ。内刳りのある寄木造で、肢体服装に強い動きを示す堂々たる作風である。「宝珠寺二尊縁起」にいう元禄年間の修理が巧みでないのが遺憾である。 データ 所在地/南アルプス市山寺950 所有者、管...
縦78.3センチメートル、幅41.1センチメートルで用材は桂である。弘安5年(1282年)に日蓮が日興に与えたものと同じ様式で、正中2年(1325年)に秋山与一光定に日興が与えたものといわれている。 データ 所在地/ 南アルプス市上野...
山寺野中一族の仏神。内刳りのある寄木造で、胡粉地彩色、下地に紙を用いた室町時代の手法で造られ、永正十5年(1517年)開眼後再度補修彩色が施される。像高82センチメートル。胎内に梵字による光明真言等の墨書がある。 データ 所在地/南ア...
加々美次郎遠光像は玉眼挿入、内ぐりのある寄木造。作者は無名でありながらも鎌倉期における肖像彫刻の逸品である。 坐高…48センチメートル 肩張…36センチメートル 肘張…38センチメートル 膝張…52センチメートル 膝高…9.5センチメ...
以前は伊豆神社のご神体であったが、荒廃したので大正十年諏訪神社に遷祀された。これまで、曽我兄弟木造とされてきたが、平成十二年に行った鑑定結果と、合併前の芦安村文化財審議会及び諏訪神社の氏子により、この木造が曽我十郎と虎御前であるとの見...
涅槃図は釈迦が入滅する情景を描いたもので、仏教絵画の代表的主題のひとつである。 本図中央には、北を枕にし西を向いて横たわる釈迦が配置され、その周囲には菩薩や諸天、仏弟子、さらに雉や象、獅子などの鳥獣までもが嘆き悲しむ様が描かれている。...
釈迦涅槃図で最古のものは応徳三年(1086年)作画の高野山金剛峯寺所蔵のものであるが、鎌倉時代になるとこれが普及し数多く描かれるようになり、図柄も時代と共に変化してきている。法善寺蔵のこれは寛文四年(1664年)東福寺の自得という僧の...
この図は高野山の御影堂に祀ってあるものと同一の図柄で、真如法親王が生前の空海のお姿を自ら写されたものとされている。真如法親王は平城天皇第三皇子であるが、出家して東大寺に学び後空海の弟子となった。求法のために唐から印度へ向かう途中、虎害...
桧板に描かれた地蔵、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道衆生救済の地蔵尊像を岩絵具であらわしたものである。それぞれ元和五巳未正月吉日。野呂瀬主税助とある。長さ41.5センチメートル。幅28センチメートル。画像は平均高35センチメートル、縁...
江原山隆昌院は寛正3年(1462年)に開基し、本尊は千手観音である。 この涅槃図の伝来は不詳であるが、上方軸芯部に墨書で寛文11年(1671年)との銘記が発見された。四枚の絹を女性の手によって縫い合わせた庶民的な作品であり、仏教の教え...
飯縄権現信仰は北信州飯縄山に対する山岳信仰として知られている。室町時代武州高尾山に入山した俊源大徳が修行の結果、一夜の霊夢によって飯縄権現を感得し、その像を刻み一山の守護神として山頂に勧請したことにより、関東一円に広がったと言われてい...
聖徳太子信仰を伝える六角堂建築として貴重であり、堂内には聖徳太子像と太子が信仰した如意輪観音が祀られている。 天正18年(1590年)七ツ内地内の龍沢寺当方にあった堂は、寛文4年(1664年)にこの地にうつされたが、文化4年(1807...
有野の故矢崎徹之介氏の居宅で、甲府盆地西部では最も古い民家である。建てられたのは、江戸時代初期、寛文以前の建築である。 矢崎氏はもと青木氏の出で、武田信玄公の時代に有野に所領を得て、信州からここに移った地侍であった。その後、江戸時代を...
建立年代は不明だが、元禄2年(1689年)奉上葺の棟札があるので建立年代はこれより前の寛文期(1662年から)、」ごろと思われ、様式も一致する。 本殿は一間社流造(ながれづくり)で、桁行1.56メートル、梁間1.40メートル、向拝梁間...
鋳物師屋(いもじや)村の鎮守と言い伝えられ、一間社流造、桁行0.91センチメートル、梁間0.82センチメートル、棟高2.88センチメートルである。各部に濃厚な桃山風の特色の残る江戸初期の建物である。 データ 所在地/南アルプス市下市之...
石段の中程にあり、宝永五年(1708年)の銘がある。笠木の上面に一対の竜が彫り出されあり、願い事を呑み込んでくれるとお詣りする人が多かったと言われている。 データ 所在地/南アルプス市平岡1611 所有者、管理者/平岡区 指定年月日/...
一間社流造の建物で、江戸初期のものとみられる。宝殿地内(上市之瀬1315地先)から現在地に遷されたものといわれ、平成元年原形に忠実な解体修理が行われた。 データ 所在地/南アルプス市上市之瀬1029 所有者、管理者/上市之瀬区 指定年...
明治24年の建立、桁行1間、梁間1間、四面入母屋造の建物で、入母屋の軒は唐破風をつけている。この建物で太太神楽が演ぜられ奉納される。 データ 所在地/南アルプス市高尾498 所有者、管理者/穂見神社 指定年月日/平成5年11月25日 備考/
当社の祭神は木花之開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)で、古来江原地区は湧水が豊富で稲作が盛んに行われていたことから、稲作の神としてその恩恵に浴し、毎年初穂を献じて五穀豊穣を祈願した。本殿は三間社(さんげんしゃ)流れ造り桧皮葺(ひ...
全長123センチメートル、鋳造で造られた鉄製の灯籠を笠には製作年代と思われる「天正15年(1587年)6月」の銘がある。隣に人名らしき文字も見られるが、判読できない。 鋳造の金灯籠は県下でも珍しく、中世のものは他に知られていない。 こ...
銅製の厨子の四隅には風鈴がついていて、その鈴の音は登山者の安全を守ってくれる尊い守り神である。かつては北岳山頂に石の祠がありそこに安置されていたという。 明治中頃までの登山者は拝していたようだが、その後、心無い人によって持ち去られ、人...
恵光山長遠寺歴代墓域内にある五基を対象とする。北端の東塔は基礎から笠上端まで23センチメートル。正面には横に二祖、縦に日永と刻し、向って右に文和4年(1355年)、左に八月七日とある。西塔は、基礎から相輪まで31.5センチメートル。塔...
桟唐戸は鎌倉時代に禅宗が渡来した折りにその建築様式とともに伝えられたもので、禅宗様扉とも呼ばれ、その後他宗の寺院や神社等でも広く用いられるようになった。隆昌院の桟唐戸は様式からして桃山時代(1574年から1614年)の頃に製作されたも...
東南湖の御輿は尺五御輿と言われて小型のものであるが、正格な江戸木割によって施工されている。文政八年(1825年)に修復が記されており、製作はそれ以前に遡り江戸中期頃と推定され、美術的にも大変すぐれた作品である。 神鈴は銅製で文禄三甲午...
この土蔵は昭和63年に大改修がされているが、戸前口は江戸末期に造られたまま残されている。扉は通称観音開きと呼ばれる塗込扉であるが、これはそれ以前の軸摺形式である。耐火建築として土蔵造りは江戸時代に隆盛を極め、土蔵の戸前口は左官職人の腕...
わが国古来の数学である算額は江戸時代に関孝和らを中心に発達した。和算家が自分で発見した問題や解法を絵馬に書き寺社に奉納したものを「算額」と言った。 神部神社の算額は文化三年(1806年)に上州の和算家清水直次郎央七が奉納したものである...
懸腰山は文永11年(1274年)日蓮上人が甲斐国内を巡しゃくされこの地を通りかかった折に松に袈裟を懸け、腰を下ろして休まれた霊場として懸腰山と命名したという。眼下に広がる甲府盆地の眺望が素晴らしい。 データ 所在地/南アルプス市湯沢1...
下高砂地区で染色捺染業(型染)を営み、平成4年3月21日、旧八田村教育委員会より江戸小紋染師として無形文化財保持者に認定指定された。 内田氏は、父であり師でもあった内田秀一氏(山梨県指定無形文化財保持者)の後継者として引杢(ひきもく)...
この神楽は里神楽であって笛や太鼓で囃し、仮面を被り無言で演ずる岩戸神楽に属するものである。その起源は詳らかではないが往古よりこの里に伝承され、ある時には高尾山穂見神社の氏子により、また山寺八幡神社の氏子により奉納されてきた。現在は氏子...
十五所区に伝わり別に長男囃子とも呼ばれ、200年程前に村人が京都の祇園囃子に感じ入って作り出したものである。五つの囃子で構成され、大太鼓・小太鼓・笛などの楽器が用いられ踊りも入る。 データ 所在地/南アルプス市十五所 所有者、管理者/...
氏子による神楽部によって、例祭4月29日、12月31日(午後11時30分から午前1時30分)頃に奉納される。20数種の舞に応じて面・冠・衣装があり、刀・扇子などの採り物がある。 データ 所在地/南アルプス市山寺 所有者、管理者/山寺八...
氏子による神楽師によって、例祭(11月22日)夜に奉納され夜神楽として有名である。20数種の舞に応じて面・冠・衣装・採り物などがあり、面は24面が保管されている。横笛・鈴などの楽器を用いる。 データ 所在地/南アルプス市高尾498 所...
起源は天明年間といわれ、家庭の和と社会平和の護り神として毎年正月14日、15日の道祖神祭の日に舞が行われる。また、娯楽の一つとして道化万才等の余興も演じられる。 データ 所在地/南アルプス市曲輪田峰村小路 所有者、管理者/曲輪田峰村小...
若宮八幡神社は古市場など周辺の七か村の総鎮守とされている。 文久2年(1862年)に水害を防ぐために神楽を奉納したのが始まりと伝えられており、古来「八朔」といって旧暦の8月1日に祭典が行われた。大正元年に古市場敬神会が発足し大祭を継承...
1月14日から16日にかけての小正月には道祖神を奉る多くの民俗行事が行われる。この西南湖の獅子舞は現在でも西南湖獅子舞保存会により区内の新築祝い、結婚などの祝い行事として舞われる。明治20年(1887年)頃、隣の和泉地区の青年が質入れ...
神部神社は大物主命を祭神とし、「延喜式神名帳」に記載された巨摩郡五座のなかのひとつである。 毎年3月第1日曜日に(往古は2月2日)に行われる曳舟祭は、大和国からご神体を奉遷した古事にならってその様子を再現している。神主が数本の矢を放ち...
棟札とは、建物を新築・再建した際に、施主や大工の名前、工事の日付、経緯などを記録するために作られ、天井の棟木などに打ち付けられる板札である。 神明神社の棟札には、正徳3年(1713年)8月に起こった洪水によって現在の神明神社から5丁(...
戦争遺跡ロタコは、アジア太平洋戦争末期に御勅使川扇状地上に構築された日本陸軍の秘匿飛行場である。ロタコの遺構は3キロメートル四方、約800ヘクタールの範囲に点在する。建設工事には釜無川西岸域の住民が1日あたり3000人余り動員されたほ...
土屋惣蔵は武田家の重臣金丸氏の4代目金丸筑前守虎義の5男に生まれる。15歳の時、駿河の武将土屋備前守の養子となり、土屋惣蔵昌恒と名を改めた。元亀3年(1572年)、武田が徳川と戦った、三方ヶ原の戦いで戦功をあげた惣蔵は、武田信玄亡き後...
上高砂地区、豊光院本堂裏手の墓地に国学者、五百住巨川の墓がある。 五百住巨川は、文政12年(1829年)に江戸藩邸で五百住元卓の次男として生まれた。幼名を栄三郎または丑松といい成長した後巨川と号した。昌平坂学問所で学び、著名な国学者で...
野牛島集落の中心に、御所五郎丸の墓がある。安山岩の墓石に「鎌倉御所五郎丸の墓」と陰刻されている。墓所の前には観音堂が建っており、御所五郎丸の肌守りと言い伝えられる観音菩薩座像(実際は地蔵菩薩座像)が祀られている。 御所五郎丸は歌舞伎や...
松声堂は、江戸時代に創立された西郡地域の勉学の中心となったところである。天保6年(1835年)西野村長百姓幸蔵ら12名は、“勉学によって人倫の道を教え、農民としての自覚を高めたい”として幕府に手習所の創設を出願した。 翌7年に許可され...
御勅使川扇状地を見渡せる高台にある山城の跡。城跡らしいものは残っていないが、城の本丸に当たるところに室町初期のものとみられる宝篋印塔(ほうきょういんとう)、五輪塔が数基建てられている。 城主は、当時西郡地方を支配していたと思われる逸見...
白根町築山に鎮座する神社で、旧社格は村社、祭神は菊理媛神。境内地は150坪と規模は小さいが、一通りの施設が備わっている。 本殿は1間社流造りで、床下に浜床(はまゆか)階段上に母屋床(もやゆか)が張ってある。拝殿は寄棟造り(よせむねづく...
鎌倉期から南北朝期にみられる荘園。鎌倉期は青蓮院門跡領で、年貢は米でなく布だったという。南北朝期には勧修寺領に移っているが経緯は不明。加賀美氏は甲斐源氏の一族で、遠光は1143年(康治2年)、若神子(須玉町)逸見の館に生まれ、この地に...
データ 所在地/ 所有者、管理者/ 加賀美・法善寺 指定年月日/ 昭和46年1月28日 備考/
データ 所在地/ 所有者、管理者/ 藤田・泉能寺 指定年月日/ 昭和46年1月28日 備考/
データ 所在地/南アルプス市藤田304 所有者、管理者/明行寺 指定年月日/昭和46年1月28日 備考/
五味可都里は江戸時代後期、甲州を代表するの俳人ひとり。 名は宗蔵、号は可都里(葛里)。蕪庵(かぶらあん)と称した。 旧巨摩郡藤田村(現南アルプス市藤田)の豪農で、田園風景を素材にした温雅な作品を多く残した。 編著に『農おとこ』、『なな...
鎌倉時代に小笠原長清の孫、上野盛長の築いた城で上野城と呼んだが付近に山茶が多く、椿城とも呼ばれた。以後秋山氏が拠り、室町時代には武田大井氏の信達が居城とし、武田信虎との交戦や、大井夫人の出生等の故事で有名である。 データ 所在地/南ア...
小笠原小学校付近の小字を「御所庭」という。甲斐国志には「御所ノ庭 村ノ西ニ在リ松樹鬱蒼方四十間許リノ間地ナリ相伝フ小笠原長清居宅ノ南庭ニニシテ(略)」と記している。 データ 所在地/南アルプス市小笠原 所有者、管理者/ 指定年月日/昭...
古墳時代前半(5世紀中頃)の造出し付円墳で、径28メートルである。埋葬主体は発見されなかったが、鉄剣・管玉・須恵器などが得られている。峡西地域では物見塚古墳に次いで古いものである。 データ 所在地/南アルプス市あやめが丘1930-7他...
甲斐源氏清光の十男として生まれ、奈胡庄を領したので奈胡十郎義行と言った。 また義行は八条院蔵人であったので奈胡蔵人とも言う。平家追討に際し源氏の将として功績を挙げる。建仁3年(1203年)6月に没しており東南湖のこの地に義行の墓所、あ...
三基とも安山岩で造られているが、それぞれが誰の墓なのかは不明である。両端は同型で東側地輪左側面に貞治四年(1365年)閏9月16日の刻銘があり、室町時代の造営であることが判明した。中央の塔はさらに古く鎌倉時代初期のものと考えられる。従...
熊野神社は秋山太郎光朝の館跡であったと伝えられている。熊野神社周辺には光昌寺や光朝の要害城であった雨鳴城とともにその遺徳を偲ぶ史跡が数多く所在している。またこの地より円筒埴輪の一部が発見され古墳であったとも言われている。 データ 所在...
成妙寺の山門をくぐると「笹の葉や今に鶯年よらず」と詠われた句碑がある。 辻嵐外は江戸後期の俳人である。嵐外は明和8年(1771年)敦賀に生まれ、年に甲斐を訪れ若草町藤田の五味可都里を頼り、その後75歳まで落合を中心に甲斐の俳諧文化の向...
塚原地区は古来より塚の原っぱといわれるほど塚が存在したという。この古墳は古墳時代後期に築造された横穴式石室である。櫛形の古墳、物見塚古墳とともに甲府盆地西部の歴史の生い立ちを知る上で貴重な資料である。通称大西のおかまと呼ばれている。 ...
講演・報告会 甲府盆地の条里水田について考えるー盆地南西部を中心としてー 若草地区の加賀美・藤田、甲西地区の鮎沢・古市場・大師・清水・田島周辺に残る昔ながらの碁盤の目状の 土地区画(=条里地割)は、その期限が鎌倉時代以前にさかのぼると...
時代…享保13年(1728年)4月17日から元文4年(1739年)5月17日 作者…嶽恩和尚・玄嶺和尚 長盛院境内の「経蔵」に嶽恩筆紙本墨書大般若経600巻が収められている。この般若経は亨保年間、長盛院の末寺、正重院の住職であった嶽恩...
本樹は能蔵池の北西隅にある。江戸彼岸桜という名称は、「東国(関東)の彼岸桜」という意味で、ゆえに「東(あづま)彼岸桜」ともいう。 根回り4.5メートル、目通り1m、樹高8メートルの大樹である。樹勢は旺盛で、毎年4月上旬に薄紅色の美しい...
西野北村小路の小野氏宅の前庭に育つ五葉松。松の種類のうち、五枚の葉を持つ種類を五葉松と称し、これはその中のヒメコマツと言う種類の樹木である。 規模は、目通り幹囲1.30メートル、根回り2.95メートル、東へ伸びる枝の長さ15メートル、...
水宮神社は有野部落の北部、御勅使川近く鎮座し、水波能女命(みずはのめのみこと)を祭神とする水害防護の神社である。御勅使川は大扇状地をつくっただけに、有史以来も大氾濫をくりかえし、特に天長11年(834年)の洪水は大惨事をもたらし、救恤...
沓沢の山の神の大栂はいつから生育したのかわからないが、かつては千年栂とも呼ばれていた。この大栂の根本に昔から祀られている山の神が四祀ある。この山の神の大栂は、昭和59年に村の天然記念物に指定された。 岩盤の上ともいえる痩せた尾根に、何...
みそはぎ科の落葉高木で原産地は中国南部。樹皮は褐色でつやがあり、なめらか。夏から秋にかけて白色または紅色の小花をひらく。 さるもすべりそうだという意から「サルスベリ」と云われ、花期の長いことから「百日紅」とも云う。 樹高15メートル、...
一名シダレザクラともいう。根元の周囲4.4メートル、目通り幹囲3.6メートル、樹高10メートル。枝張りは四方に広がり、特に枝垂れは長く、花色は濃い方で、樹齢約200年。 データ 所在地/南アルプス市上市之瀬1436 所有者、管理者/上...
神社南西部を中心にして、シラカシの群生がみられる。目通り幹囲3.4メートル、樹高23メートルを筆頭に35本が群生している。暖地性植物カシ林は、盆地周辺が北限で植物分類地理学上貴重である。 データ 所在地/南アルプス市下宮地470 所有...
標高610メートルの山上に、御神木として保存されている。球果にタンニンを多く含み、この地域では五倍子(フシ)の木と呼ぶ。目通り幹囲3.1メートル、樹高15メートル。枝張りは四方に8メートルあまりの県下まれな巨樹。 データ 所在地/南ア...
神社西方の境内樹。地域ではヒガンザクラで通っている。東のモミジと共に農作業の目安として親しまれ、早春の開花は、淡紅色で見事。目通り幹囲2.8メートル、樹高15メートル、枝張りは東西16メートルに及ぶ。 データ 所在地/南アルプス市曲輪...
社殿前の東に位置する境内一の巨樹で御神木とされてきた。目通り幹囲5.75メートル、根廻6.80メートル、樹高45メートル、枝張り東西25メートル南北20メートル。樹型は直幹、枝張り方錐形の美形である。 データ 所在地/南アルプス市高尾...
清水八幡神社境内に東西に自生する老木である。西側が夫で、かつては樹高27メートル、根回り20メートル、目通り7.4メートルを誇ったが、近年、強風により根の部分を残し倒壊してしまった。樹齢は約650年である。 東側が婦で樹高25メートル...
根回り2.6メートル、樹高14メートルで時の光昌寺住職がシャム国(タイ)よりこの地に持ち帰ったと言われている。現在秋山富士夫氏の庭園に自生しており雌樹で赤い実をつける。 データ 所在地/南アルプス市秋山596 所有者、管理者/個人 指...
湯沢の平野山広誓院は文亀元年(1501年)6月に創建されたと伝えられている。 このカヤの木は根回り13メートル、目通り4.5メートル、樹高は12メートル、樹齢約500年の老木である。 データ 所在地/南アルプス市湯沢1826 所有者、...
根回り20メートル、目通り3.5メートル、樹高19メートル。樹齢は約500年ともいわれる。 この松は江戸時代前期頃滝沢川左岸の岸辺に自生しており、当時水害の常襲地帯であった滝沢川より村人たちが安藤家に移植したという。 この松には明治末...
古市場の不動寺は弘仁年間(810年から823年)に創建された真言宗の寺院である。 その山門の西側にひっそりと自生しており、根回り1.5メートル、目通り1.2メートル樹高6メートルである。「菩提樹」は中国原産の植物で福岡県に渡り次第に全...
本樹は雄樹で根回り2.6メートル、樹高14メートル、地上2メートルで二幹に分かれている。葉の縁に鋭い鋸歯があることから「鋸柴」とも言う。モチノキ科に属し樹皮からとりもちを作る。 データ 所在地/南アルプス市江原1587 所有者、管理者...
宗持山成妙寺に自生する松は垂れクロマツの傾向を持ち、根回り3.6メートル、目通り2.9メートル、樹高17メートル、樹齢約200年で地上約1メートルのところで東西2幹に分岐している。 データ 所在地/南アルプス市落合150 所有者、管理...
鮎沢の御崎稲荷明神にある当木は根回り2.9メートル、目通り2.3メートル、樹高やく7メートル、樹齢約400年と言われている。この御崎ビャクシンは毎年鮎沢1組で祭典を行っている。 データ 所在地/南アルプス市鮎沢754 所有者、管理者/...
本清寺は正保元年(1644年)9月13日に創建されている。 根回り6メートル・目通り3.9メートル・樹高20メートル カヤの木は音の反響が優れているので、昔から基盤や将棋盤に用いられている。 また木の実は薬用や菓子などに用いられ「カヤ...
多羅葉は葉に傷を付けると浮かび上がるので古代インドでは木針で葉に傷を付け経文を写したことからそれにたとえて多羅葉と称している。また、葉に火をつけると黒い環が現れるので紋付柴ともいわれている。 根回り2.36メートル、目通り1.41メー...