自然と文化が調和した幸せ創造都市 南アルプス
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南アルプス山麓の写真

位置・広さ・特徴

山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する南アルプス市は、美しい自然に囲まれた地域です。
総面積264.14平方キロメートル、山梨県の面積の約5.9パーセントを占め、人口は72,715人(平成27年4月1日現在)です。南アルプスの主峰北岳を頂点とした東西に細長い形で、冬は寒さが厳しく、夏は気温が高いという盆地特有の内陸性気候です。
富士川で舟運が行われていた頃には、信州へ至る交通の要衝として栄えていました。御勅使川扇状地やそれに続く低地では果樹栽培が盛んに営まれ、春から秋にかけてたくさんのフルーツが実る果樹園は、この地域を代表する景色となっています。

歴史

市内に人びとの足跡が見られるのは、2万年前、旧石器時代にさかのぼります。

縄文時代には、市之瀬台地を中心に数多くの集落がつくられ、下市之瀬にある鋳物師屋遺跡から発見された土器や土偶は現在、国の重要文化財となっています。

弥生時代になると水田耕作に適した市域南部、御勅使川扇状地の末端の湧水線に沿って集落が営まれるようになりました。

古墳時代には、市域に県指定文化財である物見塚古墳をはじめ数多くの古墳が造られました。

平安時代になると、それまで人々の足跡を見ることがほとんどできなかった御勅使川扇状地の扇央地域においても、後に「八田御牧」と呼ばれる大規模な牛馬の飼育施設が置かれるなど開発が進みました。また、扇状地末端の水田地帯でも一層の農業基盤の整備が進みます。

鎌倉時代には、このような経済的基盤を背景に、甲斐源氏の加賀美遠光が市内に拠点を構え、その子である秋山光朝、小笠原長清らを周辺に配して勢力を固めました。このうち小笠原氏は、「礼法」に象徴されるように後に全国に飛躍しています。

戦国時代には、武田信玄の生母である大井夫人をはぐくみ、甲府盆地に春を告げる祭として有名な「十日市」の歴史は、少なくともこの時代までさかのぼることが確認されています。
また、武田信玄の治水伝説の残る御勅使川には、現在国の指定史跡となっている「将棋頭」や「石積出」が築かれ、将棋頭は六科地区および下流の村々を水害から守ったほか、石積出は造られた有野村だけではなく、同村を含む御勅使川扇状地のほぼ全域を守る治水の要としても機能しました。

江戸時代になると、御勅使川扇状地には「徳島堰」と呼ばれる用水路が開削されたほか、市域南部では天井川に対応するため河川の立体交差化が試みられるなど、水の制御に苦しみながらも暮らしを高めていった人々の努力の跡を見ることができます。

近代になっても水との闘いは続き、明治時代には山梨県における初の県営砂防工事である「市之瀬川の石堤」、大正時代には国の直轄事業として日本初の本格的コンクリート堰堤である「芦安堰堤」が築かれました。
一方、「月夜でも焼ける」といわれたかんばつ地帯には、戦後になってようやく野呂川水道の開設や釜無川右岸土地改良事業が整備され、慢性的な水不足から開放されています。また、「曇って三寸」(雨降りどころか曇りでも三寸の水が溢れる)といわれるほど洪水の多かった市域南部においても、樋門や排水機場の整備により水害対策が進められました。
なお、稲作に適さなかった御勅使川扇状地では、明治時代に煙草の専売所が置かれたことからもわかるとおり、畑作作物の栽培が盛んにおこなわれてきたほか、行商の文化を生み、
在家塚出身の甲州商人・若尾逸平を輩出する土壌となりました。また、天保7年(1839年)には他の地域に先駆けて村人らの手によって西野松聲堂(手習所)が開かれるなど、「人づくり」の大切さに早くから気付いた地域でもありました。

明治初年には62の村に分かれていたこの地は、明治・昭和の合併を経て八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の6 町村となり、平成15年4 月1 日、この6町村の合併により南アルプス市が誕生し、現在にいたっています。

市章

南アルプス市民憲章南アルプス市のイニシャル「M」と「A」を組み合わせ、「南アルプス市」をイメージしました。「自然と都市(人)との調和」が下の楕円により表現され、「未来に飛躍する夢と希望の都市」が上部の三角形のフォルムにより表現され、南アルプス市を明るく、力強くシンボライズ(象徴化)したデザインです。

 

南アルプス市民憲章

緑かがやく自然を守り
なかよく美しい心を結び合い
未来にひらく豊かなまちをつくることを
アルプスの山々に誓います

コンセプト

「みなみアルプス」を行の先頭に来るように配置した。 あらゆる世代に覚えやすいよう、なるべく短く、簡潔な言葉とした。 市民アンケートの言葉から、「緑」、「かがやき」、「自然」、「なかよし」、「美しい」、「心」、「未来」、「豊か」、「アルプス」、「山」を使用した。 憲章が訴える要素として、自然保護、市民のふれあい、豊かな地域(経済的、精神的、文化的などあらゆる面で)の3つをあげ、崇高なアルプスの山々に約束する形で南アルプス市の特徴を出した。

「南アルプス」とは

南アルプス市と言えば、南アルプスの存在があります。南アルプスは日本第2位の高峰である北岳を始め、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など、3,000メートル級の山々が連なる山地です。そのため古くから全国の人々から親しまれ、多くの登山家が訪れています。また、この高地地形を利用し、サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、りんごなどの果樹栽培が盛んです。
日本アルプスの名称は、明治初期に飛騨山脈を調査した大阪造幣局技師のイギリス人ウイリアム・ゴーランドが明治14年発行の「日本案内」に用いたのが始まりとされています。
さらにイギリス人宣教師ウォルター・ウエストンが、同29年ロンドンで「日本アルプスの登山と探検」を出版しその中で北アルプス、南アルプスが命名されました。

(美ヶ原高原美術館ホームページより)

南アルプスは南北約150キロメートル、長野、山梨、静岡の3県にまたがる日本最大の山脈です。
その中には、甲斐駒山脈、白峰山脈、赤石山脈、伊那山脈と4つの山脈が含まれ、三伏峠を境に北部と南部に分かれています。どっしりとした大きな山容を誇る山々が多く、準平原とよばれる平坦な地形が山頂や稜線にひろがっています。森林限界が高く、うっそうとした原生林や、数多くの特産種を含むお花畑を持ち、多種多様な動物たちが生息します。

(長野県山岳総合センターホームページより)

「南アルプス」名前の由来

南アルプス市の名前は一般公募したうえで、平成14年9月に選定されました。この市名が選ばれた主な理由は、下記のとおりです。また、市名にカタカナを使用しているのは、沖縄市の旧称コザ市に続いて2番目であり、外来語を使用した市名は、日本初です。

南アルプス市探訪(写真館)

季節折々の南アルプスの写真を掲載しています。

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