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~祝!徳島堰が国の登録記念物(遺跡関係)に登録~

 

徳島堰が令和4年11月10日付け官報号外第239号、文部科学省告示第149号にて国登録記念物に登録されました。徳島堰が歴史的・文化的な価値を持つ文化財として法的にも位置付けられたのです。

山梨県では登録記念物は2件目となり、国登録記念物の堰(用水路)としては、立梅用水(三重県松阪市・多気町)と二ヵ領用水(神奈川県川崎市)に続く国内3例目となります。日本の利水の歴史文化を象徴する堰と言えます。


【徳島堰の概要】

徳島堰は、山梨県の中西部に位置する巨摩山地から流れ出る諸河川によって形成された扇状地などの、釜無川右岸地域に農耕用水を供給するために作られた灌漑用水路です。

韮崎市円野町で釜無川から取水し、南アルプス市飯野新田まで続き、延長は約17kmとなります。

徳島堰は、寛文5年(1665)江戸深川の商人、徳島兵左衛門が甲府藩の許可を得て灌漑用水路の工事に着手し、2年後の寛文7年には曲輪田まで通水したといわれています。しかし、同年台風の被害により堰が大破したことから兵左右衛門は事業を断念しました。その後甲府藩が事業を引き継ぎ、甲府藩から復旧を命じられた有野村の矢崎又右衛門が中心となって工事を進め、寛文10年(1670)に復旧が終わり堰が完成しました。当初は西郡新田堰(にしごおりしんでんせぎ)と呼ばれていましたが、延宝年間(1673~1681)の後半頃から徳島堰の名称が一般化しています。

山から流れる諸河川の横断には板関(平面交差)、掛樋(川の上を立体交差)、埋樋(川の下を立体交差)などの工法が河川の状況に合わせて施工されました。昭和40〜48年に実施された釜無川右岸土地改良事業によって堰がコンクリート化されましたが、江戸時代から続く灌漑用水路の位置や本質的な構造は現在でも多くの地点で残されています。

現在、徳島堰は農林水産省が所有し、その管理を釜無川右岸土地改良区連合が請け負い、さらに連合の構成組織である徳島堰土地改良区が実質的な管理を行っています。

徳島堰の水は現在、韮崎市と南アルプス市の水田や御勅使川扇状地に敷設されたスプリンクラー網によって畑地灌漑に利用されているほか、集落の防火や洪水時の調節、水車を利用した小水力発電などにも活用されています。

 

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