~国の文化審議会、文部科学大臣に新登録へと答申~
令和4年6月17日に国文化審議会が徳島堰を国登録記念物にふさわしい文化財として位置づけました。
山梨県では、登録記念物は2件目となり、国登録記念物の堰としては、立梅用水(三重県松阪市・多気町)と二ヵ領用水(神奈川県川崎市)に続く国内3例目となります。
【徳島堰の概要】
徳島堰は、山梨県の中西部に位置する巨摩山地から流れ出る諸河川によって形成された扇状地などの、釜無川右岸地域に農耕用水を供給するために作られた灌漑用水路です。
韮崎市円野町で釜無川から取水し、南アルプス市飯野新田まで続き、延長は約17kmとなります。
徳島堰は、寛文5年(1665)江戸深川の商人、徳島兵左衛門が甲府藩の許可を得て灌漑用水路の工事に着手し、2年後の寛文7年には曲輪田まで通水したといわれています。しかし、同年台風の被害により堰が大破したことから兵左右衛門は事業を断念し、その後甲府藩が事業を引き継ぎ、寛文10年(1670)堰が完成しました。当初は西郡新田堰と呼ばれていましたが、延宝年間(1673~1681)の後半頃から徳島堰の名称が一般化しています。
山から流れる諸河川の横断には板関(平面交差)、掛樋(川の上を立体交差)、埋樋(川の下を立体交差)などの工法が河川の状況に合わせて施工されました。昭和40〜48年に実施された釜無川右岸土地改良事業によって堰がコンクリート化されましたが、江戸時代から続く灌漑用水路の位置や本質的な構造は現在でも多くの地点で残されています。
現在、徳島堰は農林水産省が所有し、その管理を釜無川右岸土地改良区連合が請け負い、さらに連合を構成組織であります徳島堰土地改良区が実質的な管理を行っています。
徳島堰の水は、韮崎市と南アルプス市の水田や御勅使川扇状地に敷設されたスプリンクラー網に利用されているほか、集落の防火や洪水時の調節、水車を利用した小水力発電などにも活用されています。