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移住者インタビュー

移住定住インタビュー

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一緒に生きている
という実感。

一緒に生きているという実感。

川崎市から移住した古川さん夫妻。
夫婦揃ってSE(システムエンジニア)としてIT業界の最前線で戦ってきましたが、転職を経て、農業への転身を決心しました。

移住のきっかけ

なぜ南アルプス市に移住をしようと思ったのか、そして農業を始めようと思ったのか教えてください。

 

古川京子さん

京子さん:もともと、母の実家が南アルプス市若草にあって、農業をはじめるなら親戚がいるところが良いよね。ということで、南アルプス市にきました。
農業と言えば、「農家の嫁にはなるな」と言われるような時代に育ってきたので、まさか自分が農家をやるとは思ってもいませんでした。

翔太さん:私も川崎生まれ、川崎育ちなので、身近に農業という職業は全くありませんでした。ただ父親が家庭菜園好きで、小さいころから植物と触れ合っていた記憶があります。
でも都心に住む中で就職先に農業という選択肢はありませんでした。
就活当時、やりたい仕事が全くなかったので、最初に手に職をつけるという意味でSEを選択しました。
その後転職も経験して、評価もいただき、どこででも食べていけると自分に自信がついたところで、起業することを考え始めました。
そして彼女の実家に行ったとき、農業のお手伝いをしたことで、起業の一つとして農業という選択肢を考えたのがきっかけでした。

古川翔太さん

 

農業とSEの共通点とは?

天候に左右されるなどと言われることの多い農業ですが、これまでのSE(※1)の仕事との違いや共通点はありましたか?

京子さん: SEをしているときも、大勢で作っていると、完璧だと思っていてもどこかにバグが潜んでいて、コントロールできないこともあります。

翔太さん:システムは0か1か2つしかない中で、人間が作業している内容を言語化していきます。何か一つでも漏れたり、間違っていたりすると予想通りに動いてくれない。農業も同じで問題の要因がどこにあるのか、きちんと理解することが大切だと感じています。
こうするとこうなるというのが、先人の知恵や周りの農家さんのアドバイスを通してようやく少しずつ理解できるようになってきました。
モノを作るという観点からすると、構成されている要素やプロセスは大きくは変わらないと感じます。そのため、前職で身に着けた知識・経験を活かせる場面も少なからずあります。

京子さん:難しいのは、問題の因子が多いことです。一つ変えたとしても、そこを変えたおかげで良くなったのか、それとも違う原因で良くなったのかとか、そこが仮説でしかない点です。システムを作っている場合は原因が追えるのでわかりやすいのですが、農業の場合は因果関係をきちんと理解できない場合もあるので、トライ&エラーの繰り返しです。でも、今年はお天気に恵まれなかったからと諦めたくはないんです。

翔太さん:天候に関係なく、できる限り安定して栽培ができる技術を身につけたいと思っています。

※1 SE…システムエンジニア

古川京子さん
古川翔太さん

 

経営を安定させるために工夫をしていることはありますか?

翔太さん:経営も栽培も初心者なので、年に何回も栽培を経験できた方が良いと考え、野菜の栽培を選びました。
仮に何か作業を怠ったりやってはいけないことをやってしまい、作物が病気や害虫でだめになっても、次の作付けを早くし、もう一回育てることができます。施設栽培を選んだのは少しでも環境を制御できるようにして失敗の要因を学べるようにしたいと考えたからです。

加えて、産地で農業に取り組むことも工夫の一つです。本当にゼロからスタートすると、栽培技術に加えて、マーケティング等の部分も自分で行うことになり、とても時間がかかります。一方で産地であれば、地域として蓄積してきた技術・経験や出荷体制も整っています。

今農業をしている南湖という地域は昔からキュウリやトマトを作っている地域として国の指定産地にもなっています。
そのため、JAの指導員さんや周りの農家さんがキュウリやトマトの栽培に関する知識を豊富に持っており、出荷に関しても多くをJAの方々が担ってくれます。スタートの段階で、失敗の可能性を低くできる点で、産地で農業に取り組むのも良いのではないかと思っています。

古川翔太さん・古川京子さん

 

やまなし農業女子について

京子さんは「やまなし農業女子」の代表を務めています。
同じくらいに農業をはじめた人々とのつながりが増えているのでしょうか?

京子さん:やまなし農業女子」は、南アルプス市にもメンバーが10名ほどいます。女性農業者が集まるような機会は少なく、近い世代の仲間との接点が作りづらいと感じています。そのため、気楽に農作業のこと、地域のこと、プライベートなことまで、職場の同僚のような関係性で、同じ目線で話ができるつながりを大切にしています。
地域に友人ゼロからのスタートでしたが、自分からアクティブに動きはじめると、たくさんの出会いが広がりました。

古川京子さん

移住前との変化について

都会での生活と、今の南アルプス市での生活で変化した点はありますか?

古川さんのお子様たち

翔太さん:生活のリズムはとても変わったと思います。
IT業界にいたときには、朝出社して、終電で帰れれば良い方で、ほとんどタクシーで帰宅、徹夜も多かったので、子供たちとは朝にしか会えませんでした。
南アルプス市に来て、農業は基本的には太陽が昇っている時間に作業をするので、陽が沈んでいる時間は比較的融通が利きます。
そのため、家族との時間がすごく増えました。農作業も子供たちを遊ばせながらできるし、簡単なことであれば一緒に作業したりもできるので、オンオフ両方の時間で家族と過ごす時間が増えました。

京子さん:今は一緒に生活している、暮らしているというよりも、一緒に生きているという感じが凄く感じられるようになっています。

子育てで感じていること

 

京子さん:川崎で暮らしていると外で遊ぶという選択肢が少なかったです。外と言うと公園で遊ぶ。でも、みんなが公園に集まるので、人が多く、遊具も混みあっていました。
比べて南アルプス市は大きな公園も多く、遊具も自由に遊べる環境です。あとは畑でも虫を取ったり、花を摘んだり、ノビノビと遊べる環境はたくさんあります。また保育所も都心に比べれば入りやすいです。

翔太さん:自分たちの生活のリズムが変わり時間に余裕がある生活になって家族との過ごし方、仕事への向き合い方が変わりました。時間を作れるので、子供と遊ぶ時間も増えました。

京子さん:川崎にいた頃は虫も触れないような子だったのに、南アルプス市ではどんどんと触れるようになりました。大人の私たちも逞しくなりました(笑)自然が近いので、私たちが教えなくても、学ぶことがたくさんあると思います。
子供たち自身も、自分たちで考えて遊ぶというようになってきました。

古川さんのお子様たち
古川さんのお子様たち
古川さんのお子様たち

 

今後の展望について

南アルプス市の未来についてはどのように考えていますか?

 

翔太さん:日本全体で人口が減少していく中で、地方がその影響を顕著に受けやすいと思います。
山梨は都心に近いため、移住者を受け入れやすいですが、移住定住促進だけで人口を維持するのは難しいと思います。
そのため、南アルプス市として今後の人口減少をどう受けとめていくかが大事だと考えています。
人口減少をはじめとした多くの課題があると思いますが、様々なバックグラウンドを持った方々が暮らしやすい市になってほしいなと思っています。そのために自分たちでできることがあれば、トライしていきたいなと思っています。

古川さんご夫妻とお子様たち

古川さんご夫妻にとっての未来への展望を教えてください

 

京子さん:移住してから都心で暮らす友人が遊びに来て、一緒に農業をして帰ります。土に触れることは幸せなことですし、農業体験を通して農業が身近なものになればいいなと思います。
田舎を持たない友人も多いので、いつでも帰ってきてね。って言えるような、みんなの田舎になりたいな。と思っているんです。
それから、裏の蔵に加工場と飲食スペースもある、誰でもふらっと立ち寄れるような場所を作ろうと思っています。
実は私、パンの先生もやっていて、そこで子どもたちとパンや料理を作ったり、食育や農育につながるような教室もしたいですね。

翔太さん:今住んでいる家は、昔は敷地の三方から出入りができる場所で、その立地から子供の遊び場になっていたそうです。子供たちが集まり、缶蹴りしたり、蔵の二階で勉強したりしていたそうです。昔のようにというのは難しいかもしれませんが、近所の方々や子供たちに、休憩や待ち合わせ等でちょっと寄ってもらえる場所にできたらよいなと思っています。

古川さんのお子様たち
古川さんのお子様たち
古川さんのお子様たち