白根桃源美術館
しらねとうげんびじゅつかん
更新日 2011年04月26日
- 住所
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〒 400-0292山梨県南アルプス市飯野2825-6
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電話番号 055-282-0149FAX番号 055-282-1139
白根桃源美術館は、山梨県立美術館の開館3年後の昭和56年11月3日文化の日に県内初の町立美術館として開館しました。
本館は昭和初期の旧飯野産業組合の倉庫を、正門は白根地区百々の旧家の土蔵門をそれぞれ移築したもので、趣き深い館内の雰囲気にあわせて、格式の高さより気軽に芸術に親しむことができる美術館を目指し、これまでジャンルにとらわれない企画展を多数開催、近年では特に山梨ゆかりの作家を紹介してきました。
また平成15年度より市民ギャラリー事業を開始し、市民に身近な美術館として芸術文化の推進を図っています。
庭園内には旧村名記念石碑、浄水観音像、七郷天水碑、天水井戸、塩沢石などが見られ、郷土の地理・歴史が偲ばれます。梅、桜、花梨、菖蒲、ツツジ、夏椿、椿、金木犀など四季折々の花々のほか山野草も見られ、庭園の散策も楽しめます。
平成9年5月22日登録博物館認可。
収蔵作品・展覧会
望月春江・川
小虎・のむら清六・土橋芳次等の郷土作家を中心に日本画、洋画、版画等、さまざまなジャンルを収集。本館1階展示室・2階展示室では収蔵作品展を開催、所蔵作品の中から年3・4回のペースで展示替を行っています。また、付属展示室を市民ギャラリーとして開放し、市民団体や学校などの美術発表の場として活用されています。なお、市民ギャラリーの休館期間には武田信玄公展を開催し、「川中島大合戦図」など歌川派浮世絵師による錦絵を中心に「武田信玄画像」「武田二十四将図」などの肉筆画のほか、『甲陽軍艦』などの古書も公開しています。
ご利用案内
開館時間
開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日、祝日の翌日、年末年始(12月28日~1月4日)、展示替期間
※展覧会の前後に展示替のため休館いたします。お問い合わせください。
入館料
大人(高校生以上)300円
小人(小・中学生)100円
※30名以上団体料金2割引
施設説明
建築面積 本館230平方メートル(1階125平方メートル・2階105平方メートル)、付属展示室231平方メートル 両館合計461平方メートル
本館:旧飯野産業組合の倉庫
海鼠張り土蔵造りで、幕末から明治にかけて普及した様式です。
特徴は、合掌屋根を支える梁組みで、明治以降に入ってきたキングポストと呼ばれる手法を採用して重さを分散させています。
いわゆる和洋折衷様式で、外観の白壁と瓦を使った海鼠張りや、2階の解放された芯束、方抜、陸梁の黒と白壁のコントラストが古きよき時代の日本の伝統的な美を表現しています。
※海鼠壁
土蔵造りの外壁の仕上げのひとつ。
壁面に平たい瓦を張り、四隅を釘打ちし、目地と釘穴を漆喰で半円形に盛り上げたもの。
正門:潜戸付薬医門(旧竹内家屋敷門)
関東地方の豪族・庄屋など、苗字帯刀を許された民家に多く用いられました。
野性的な主柱と男梁(冠木)が女梁とともに重厚な屋根を支えていて、旧家の在りし日のたたずまいを偲ばせています。
旧村名記念石誌(旧飯野村役場保存)
「合村の布達」は明治7年時に県令 藤村紫朗によって出され、これに基づき次々に諸村が合村しました。
当町では、明治8年に曲輪田新田、有野、築山、駒場、塩前、須沢、大嵐の諸村が「源村」に、百々、上八田両村が「百田村」に、また、明治22年には上下今諏訪が「今諏訪村」になりましたが、「飯野、在家塚、西野」の3村は徳川時代以前から、そのまま昭和の合併期まで続いています。
浄水観音像と天水池(築造)
七郷天水碑(野呂川上水道記念碑)
題字は時の山梨県知事 天野久氏、撰文浄書は上水道事務局長 飯野篤次郎氏の手になります。
この地方は御勅使川の氾濫によって生まれた日本でも有数の扇状地です。
このため、流域一帯は砂礫層におおわれ、昔から月夜にも灼けるといわれる常習旱魃地帯でした。
古くから「原七郷」と呼ばれ、民百姓の歴史は「野呂川ばなし」に象徴されるように、そのまま「水」を求める歴史でもありました。
野呂川上水道は、そうした悲願をかけて副碑に記された方々をはじめ、多くの賢人の努力によって先人が残した野呂川水利権を代償としながら、ついに源村を水源地として布設を実現するに至り、昭和31年に着工し、昭和35年に完成しました。
現在では、原七郷3万2千人の生命の水として日々その生活を支えています。
○碑文(野呂川上水道記念碑)
天水洽七郷
御勅使川扇状地の原七郷は、古来水利に恵まれず、歴年の干害は言語を絶する事しばしばであった。
水を求める七郷の悲願は、既に三百年の昔から野呂川疏水計画として強く叫ばれて来たのであるが、その都度諸種の難関に逢着して挫折を繰り返し、遂には実行困難なことを野呂川話と称するまでに至ったのである。
然るに昭和27年8月、野呂川疏水路普通水利組合を野呂川利用土地改良区に改組したのを契機に、諸般の情勢から、従来の疏水計画に再検討を加えて根本的に変更するに至った。
すなわち明治38年以来保有して来た野呂川の水利権を放棄し、その代償によって上水道を布設する計画を立て、これの実現を期して関係町村の協力を要請したのであった。
越えて28年7月山梨県総合開発が実施されるにあたっては、その一環として、天野知事の特別な配慮により、野呂川利用土地改良区は水利権の補償として、山梨県営電気事業特別会計から1億3千万円、東京電力株式会社から5千万円、日本軽金属株式会社から2千万円、合計2億円の寄附を受け、これを全額水道布設金として野呂川上水道組合に寄附したのである。
また4ケ村堰(有野、築山、飯野新田、飯野)の理解ある水源提供によって野呂川上水道の布設が順調に進展したことも特筆すべきであろう。
かくて本水道は、昭和31年11月、着工前記寄附金・起債・並びに負担金等、総額2億8千万円の巨費と、3年余の歳月を費して、昭和35年5月竣工した。給水区域は、白根町・櫛形町・八田村の3ケ町村にわたり、給水人口は実に3万2千余人である。
われわれは、この上水道が、野呂川の水利権を子孫に遺した先人の恩恵に基づくは勿論、本水道を企画し、これの完成に終始尽力された、山梨県知事天野久、野呂川利用土地改良区理事長山梨県議会議長名執齊一の両氏及び副碑に記された、関係多数の人々の献身的な努力の結晶であることを銘記し、深く感謝を捧げると共に、永くその功労を讃えたい。
原七郷の人々は、将来この上水道の水に、常に新時代の知識と勤労の汗を加えて、豊かに富み、地方色あふれる文化の華をさかせながら、永遠の繁栄をつづけてゆくであろう。
昭和35年5月5日
野呂川上水道組合長 秋山修平撰文
同 事務局長 飯野篤次郎書
天水井戸(旧在家塚村清明水)
在家塚村はじめ原七郷は昔から溜池を作って飲用水にするほどで、井戸は文字どおり生命の水でした。
このため各戸公平を期して番号札を発行し、札がない人には汲み上げを許しませんでした。
一杯の水は、まず飲用水を取り、残水で一家全員が顔を洗い、次にその水で拭き掃除をし、最後は作物にかけたといいます。
塩沢石(塩沢川出土石灰岩質頁岩)
旧白根町はそのうち御勅使川北が分類上櫛形山累系下層部、南が同中部層と上部層に属しています。
展示の岩石は、下層部に属する塩沢渓谷から出土した石灰岩質頁岩で、約4千万年前に成層されたものです。
この一帯は太古中新生期には一面の海でその後の激しい地殻活動や火山活動によって隆起し、現在の高峻なアルプスが形成されたと言われています。
その証拠として展示の岩石層からは、古代巻貝、有孔虫、魚、植物、生痕等の化石が数多く発見されています。
アクセス
- マイカー
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中部横断自動車道白根ICより5分
※土蔵づくりの白壁が目印です
- 公共交通機関
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JR中央線バスターミナル5番線より30分
西野経由鰍沢行き、または平岡あやめヶ丘団地行き「飯野上宿」下車徒歩1分

男子トイレ
女子トイレ
障がい者用トイレ
階段
エレベーター

